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1.オドオドしない

これから英語でコニュニケーションする上で気をつけたいこと(私が気をつけていること)を書きます。
オドオドしないこと
そんなことかと思われるかもしれませんが。得てして英語に自信がないと、どうしても態度にあらわれる。先日も見かけたが、駐在したての日本人がお店などで何かを注文した時、相手が「What?」と聞き返したら、体を揺さぶり出し相手の目を見ずペコペコしながら、欲しいものを指差し「This」とだけ答えた。
そういう私も初めの頃は似たようなものだった。
そういうときは、堂々と笑顔でもう一度言う。わかるまで言ったら良い。そして後でどうして伝わらなかったのか考えることが大事。

同じことがオフィスでも言える。ミーティングなどで発言したとき、「I don't understand. Can you repeat it again?」とみんなの前で言われることがある。
でも、オドオドせず、冷静になってもう一度言ってみる。当然、それでも伝わらないことがある。でも気にしない。オドオドすると、そういう人間だと偏見を持たれてしまう。
後でなぜ伝わらなかったのか考える。
たぶん原因は次の4つと思われる:アクセント、発音、声がちっちゃくて聞き取れない、英語が日本語の直訳になっている。
それらの内容について後日書きます。
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自己紹介(私と英語)〜 シンガポール勤務

結婚後、数ヶ月してシンガポール勤務となった。
妻が「海外に住んだことがない。ぜひ住んでみたい」と言い出し、上司に相談。といっても上司には「海外で挑戦したい」と希望。上司はアメリカ人で、とても楽天家。
「インドネシア、シンガポール、タイ、台湾ならすぐ行けるよ」という感じで、シンガポールに決まった。
とんとん拍子で話が進んだ。後で知ったことだが、私の部署で日本から駐在員扱いで海外勤務になったのは初めてだったらしい。こんな調子で来たチャンスにはのる方だった。

ところが、シンガポールで働きだして毎日がとても大変だった。家族がいなかったら本当に帰っていたかもしれない。
先ず、着任当初の上司はオーストラリア人だった。このオーストラリア人のアクセントがキツく何を言っているのか分からなかった。
次にシンガポーリアンのアクセントになれなかった。突然話し始めると、中国語を話しているのか英語を話しているのか、彼らのアクセントがどちらも同じで聞き取れなかった。
さらに、私もこんな状況の中で自信がなくなり、自分の英語もいつもより、か細くなってきた(英語を話す時は発声が日本語と違うと思っている。後で記述します)。
そしてミーティングでの意思決定があまりにも雑で、こんな決め方でいいのかと驚くことが何度となくあった。私にも決定権があり、かつその場で求められ、それに対して答えられずに、どんどん自信をなくしていった。
この期間が働き始めて一番きつかったとも言える。

でも気がついたら、シンガポールに来て10年が経った。今では、ミーティングも仕切るし、プロジェクトもリードし、シニアマネジメントにプレゼンテーションもするようになった。
まだまだ自分の英語にしどろもどろすることもあるが、働き始めた頃に比べると私の英語力も随分成長したのではないかと思う。
次回からいよいよ英語をつかって働くことについて、そして私が考えた勉強方法に移ります。
たぶん次回のアップデートはこの週末になると思います。
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自己紹介(私と英語)〜 日本勤務

フランスから戻り日本勤務となる。ここでは先ず1年間、日本とのジョイントヴェンチャーの会社に出向となる。会社は部門ごとによって、うち(米系)の会社が部門長のところもあれば、日本の会社が部門長のところもある。
そこで私が一つの部署の部門長になった。他の部門長は私よりひとまわりもふたまわりも上の方たち。外資系で働いていると突然こういうことが起こる。
全員日本人。当然、私に対する目はちょっと違ったようだが、この当時の私は、そういうことにとても鈍感だったと思う。自分の信じていることを遠路なく言ったり、年上の人にも遠慮なく意見をさせて頂いた。
この時の社長は、日本の会社側から来た人だったが、どうも私の部署の中にこの社長と「ツーカー」の人がいて、全て私の部署内での話が筒抜けになっていたようだ。当然、他の部署や社長の考えを否定することも言った。なので社長の私に対する態度は、当初、とても冷めていた。そんなことも後で知った。
こんな性格は日本では受け入れられないかもしれないが、多国籍の企業ではこの「鈍感力」は必要なスキルだと信じている。いちいち何かが起きるたびに挫けていてはいけない。気にしない。
当然、相手の気持ちを踏みにじることを目的にしてはいけないが、信じていることを押し通そうとする力が必要だ。時には人の目や気持ちを気にしている場合ではない。
英語を学ぶ上でも同じことが言える。自分の英語力を他人が批判しても、真摯にフィードバックと受け止め、いちいち挫けない(詳しくは後で記述します)。

この期間、英語に触れることは全くなかった。
かわりに、ミーティングで話をしっかりできるように、引退したアナウンサーが開いている朗読会に毎週参加していた。最後には自分の朗読をそのアナウンサーがもっているラジヲの番組に流して頂いた。
次回はシンガポール勤務について。そして英語について話し始めます。
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自己紹介(私と英語)〜 フランス勤務(つづきのつづき)

その後一つのプロジェクトは与えられ、ヨーロッパ各国を一人で回ってそのプロジェクトを終わらせる。聞こえは良いがこれが上司と一緒に行くのと一人で行くのとでは現地のスタッフの態度は全く違った。
一人で行くと現地スタッフは「しょうがねぇ〜なぁ〜」という態度を露骨に表しながら私の話を聞いた。中には、「ちょっと忙しいからできません」と平気で言うスタッフもいたし、ミーティング中意見がぶつかって出て行った人もいた。当然なかには会社員として当然のこととして作業をする人たちも少なくなかったが。
グローバル企業になると、このように地域を統括する部門があるだが、決まって各国との仕事に進め方でぶつかることが少なくない。
このプロジェクトを私一人で進めることは本当に大変だったが、そのプロジェクトを通して今でも連絡しあう同僚ができたことは何よりの財産である。また、ヨーロッパ統括の上司と一緒に働いたことや、出張でビジネスクラスやワンランク上のホテルに泊まったこと、普段会うことのないシニアクラスの人たちとのミーティングや食事をしたことは、私のなかでの将来のキャリアイメージに影響してきたと思う。

因みにこの時期、週末はフランスにあるアメリカンスクールの生徒を雇って英語の勉強をした。勉強方法については後ほど書きます。これなら、日本でもできると思う。
また、同じく週末アメリカ人の元オペラ歌手にヴォイストレーニングを受けた。これについても後ほど詳しく。
会社で、フランス語の先生をつけてくれたのだけれども、こちらは全く上手くならなかった。。。今思えばもう少しフランス語も頑張っておけばよかったと思う。。
次回は帰国後のキャリアとシンガポールへの出向について書きます。
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自己紹介(私と英語)〜 フランス勤務(つづき)

渡仏後、数週間経つとそのアメリカ人上司と一緒にヨーロッパ各国を訪問することになった。スイス、ハンガリー、チェコ、オーストリアなど、国名を聞くと羨ましく思う方もいられるかもしれないが、当然仕事のみで観光などほぼできない。
大まかな日程は、その国に着くとオフィスに向かい、2、3日滞在のスケージュールを現地のスタッフと確認、その後すぐにミーティングに入る。基本的に私は上司の横に座りミーティングを聞いている。私もミーティングに参加してもいいのだが(意見をしていいのだが)、そんな技量は当時なかった。
その日のミーティングが終わると現地スタッフたちとディナー。ディナーが終わるとホテルのバーでその上司とビールを1、2杯。部屋に戻るのは11時ころ。こんな繰り返し。毎日とても長い1日だった。
英語で働くというのは決してミーティングに参加したり、プレゼンテーションをしたりするだけでなく、みんなと食事をしたりバーで飲んだりすることも入る。オフィスで働くだけでなく、このようなオフィス外でのコミュニケーションもキャリアを積んでいく上で本当に大事なこと。
食事をしている最中、ずっと黙っていると「気分が悪いのか」とか「なにか辛いことがあるのか」なんて思われてしまう。しまいには「昨日のディナーにあなたいたかしら」なんてこともあり得る。
なれないうちは、英語が聞き取れないのか、話題自体が分からないのか、何が分からないのかわからないまま時間が過ぎていく。
辛い日々が多かったが、後の自分の英語の勉強方法と取り組み方はこの時の経験が活かされている。
このようなコミュニケーションも慣れと取り組み次第でこなせるようになってくる。
次回はフランスでの英語の勉強ともう少しフランスでの仕事についてブログします。
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自己紹介(私と英語)〜 フランス勤務

なかなか本題の「英語をどうやって身につける」に入らないけれども、もう少し私の自己紹介を続けます。後に出てくる本題に関係してくるので。
前回の続きです。フランスに勤務することになった。上司はアメリカ人。オフィスは私とその上司のみ。彼はある部署においてフランスを含めヨーロッパとインドを統括していた。そこで人材育成も兼ね、誰かしらが彼のアシスタントとして働くこととなり、その年は私が選ばれたのだ。
今でも覚えているが、初日その上司がホテルまで迎えに来てくれ、オフィスに向かいながら現在ヨーロッパ各国が直面する問題点について話してくれた。なんとなくポイントを耳に入れ、私も出来る限り思っていることをコメントすた。通じているか怪しかったが。
オフィスにつき、その上司は私に立て続けに今後の仕事について話した後、その日のタスクを言って外に出て行った。。。。しかし、そのタスクの内容が今ひとつよく理解できなかった。今思えば、英語力がなかっただけでなく、仕事を大枠で理解し具体的なアウトプットを考え出すスキルがなかったのだと思う。またその自分の理解したことを確認する英語力と意識がなかったとも思える。
その上司、外から帰ってきて、何もしていない私を知り愕然としていた。いや、かなり苛立っていた。どうも私にある分析についてヨーロッパ各国と連絡を取りミーティングを設定しておくように言ったらしい。しかし、私にはそれらの国への電話の仕方もしらないし、その分析の目的も方法もよく理解できていなかった。
その日のうちに私の英語と能力についてかなり疑っていたのではないだろうか。そんなことを考えると、自分自身が情けなく思えてとても苦しかった。
でもいつまでも悔しく思っているわけにもいかず、なんとか状況を変えようと考えた。
会社で働き始めた時、フランス勤務の時など、このような苦しい時は、その時だけの’点’を見つめるのではなく’線’で考える。今は嫌な思いをするけれど、その嫌な思いを跳ね返すためにその時頑張れば、数年後、いや10年後は同じ状況をなんとも思わない自分になっているだろう、と考える。
英語も同じ。下手で嫌だと思いやめてしまえばそれまでだ。
次回はもう少しその上司との仕事についてブログします。
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自己紹介(私と英語)〜 キャリア

外資系で働き始めた私。なんとリーダーシッププログラムに選ばれ、たびたびトレーニングにも参加するようになった。それらトレーニングに、他国の人たちと参加するたびに、自分の英語力の無さを痛感されられた。
しかし外資系といっても時々あるトレーニングと当時の上司とミーティングする時以外は英語を話すことは少なかった。
私が始めて配属になった部署では、買収先の元日系の会社の方たちが大半を占めていた。私はそこで働き始めて何が嫌だったかというと、その人たちとのランチの時間だった。その間、彼らは職場の愚痴や上司(シニアレベルの人たちやアメリカ本社から来た人たち)の批判をしているのだ。その話を聞いているのがとても面白くなかった。そして、私は愚痴や不満をこぼす側でなく、少なくともこぼされる側に一刻も早くなろうと、決めたのだ。それからは、きっぱり彼らとランチに行くのをやめ、朝から晩まで仕事をし続けた。「まじめだな〜」と言われたが、全く気にしなかった。
そして、上司は当初の台湾人から韓国人そして日本人とかわり、相変わらず英語は下手であったが、なんと突然フランスで一年間働くチャンスが巡ってきたのだ。次回はそのフランスでの話をブログします。
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自己紹介(私と英語)〜 就職

日本に帰国後、早速就職説明会に参加。どこの会社で働きたいというより、どこでもいいから働かせて欲しいという気持ちが強かった。
ただ、周りの人に比べると私はすでに4、5歳年上でちょっと不利な感があった。それでもたまたま説明会で寄った外資系の会社(米系、英系)から面接後採用の知らせが来た。
どちらも世界に名を知られる会社であったが、恥ずかしながら私はそれらの会社について何も知らなかったのだ。
特に最終的に決めた米系の会社では、後の私の上司になる方(台湾人)と面接をしたのだが、たった15分の面接
だった。あるプログラムについて知ってるか聞かれたので躊躇することなく「知っている」と答えた。後でわかることだが、当然彼はそのプログラムを使いこなせるか聞きたかったのだが、知ってるかどうか聞いたので知っていると答えた。
外資系で働くにおいて、特に「ハッタリと自信」は必要である。しかしこれがその上司をイライラさせ、時には怒らせることになったのだが、私にしてみれば誰よりも数倍働けば、そのような技術や知識は数倍の速さで身につけることができる。。。と信じて働いた。
実はこの時英語もそれほど得意でなかったので、それもこの上司をイライラさせたのだ。この時の英語の実力は、本当に怪しいもので、ネイティブともそれほど会話もできないし、英語の映画も何言ってるかわからないし、発音も本当に適当なものだった。
次回は、そんな私がどのようにして外資系でキャリアを積んでいったのかについてブログします。
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自己紹介(私と英語)〜 留学

大学卒業後、アルバイトである程度の資金を得て、アメリカへ渡った。アメリカに行く前に英語を勉強したが、ほとんど当時の勉強の仕方はそれほど役に立つことはなかった(どんな勉強が役に立たなかったのか、立ったのか後日書きます)。
先ずはアメリカの大学で数ヶ月必修科目をとった後、大学院に入学。これは日本の大学での専攻と大学院での専攻が異なったためである。大学院では経済学をメジャーで統計学をマイナーで専攻。実はこれにも長い挫折と選択があり、結果としてこのような専攻となった。
大学院ではMBAやその他ディスカッションが多い専攻でない限り、実はそんなに英語ができなくても卒業できるように感じた。というのも今振り返ると当時本当にいい加減な英語を使っていたし、英語でコミュニケーションもほとんどできていなかったと思う。
勉強が忙しく、アメリカ人の友達と遊ぶ時間もなかった。ましてや英語が得意でなかったので、他の生徒の3倍も4倍も勉強に費やしていた。
なんとか2年間で卒業し、学生ビザを使って1年間ニューヨークの日系企業で働き帰国した。次回はいよいよ外資系での就職について。





自己紹介(英語と私)〜 学生

先ずは私の生い立ちと英語への関わりについて。
私は田舎で育ち、学校と受験勉強以外で英語に接することはなかった。この時の勉強が後の私の英語上達の足かせになるとは当時は思いもしなかったが。。。
私の出身地では、当時、ほとんど外人を見ることもなく、正直、欧米人はみんな英語を母国語としていると高校生まで信じていた。これは大きな間違えだったが、英語は私にとって学校の勉強の一つにすぎなかった。つまり、「英語のテストはもうしません」なんて文部省が決めたら、全く触れることはなかった思う。
そんな私が初めて英語をアメリカ人と話したのは、一人バックパックで中国を旅した大学3年生の時。ホステルで同室になったアメリカ人(マイク)と一緒に数日過ごした時のことだ。私は知る限りの英語で話すのだが、話したいことはあるのに、全く英語で表現できなかったのだ。。。。とてももどかしかった。6年間も学校で勉強してきたのに全く通用しない。
そして帰国後私は早速留学を計画し始めた。次回は留学について。
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